社長ブログ
山に木が無くなると文明は滅びる?
■ ― 昔の燃料は「山の樹木」だった ―
― 出雲風土記から見える「暮らし」と「森林」 ―
当たり前のことですが、昔は食事を作るにも、お風呂を沸かすにも、木を燃やして暮らしていました。
現代のように、灯油やガス、電気が自由に使える時代ではありません。
人が生きるためには、まず「燃やす物」が必要だったのです。
我が家にも山の上に山林があります。
今では場所も正確には分からなくなっていますが、税金だけは今も払い続けています。
出雲風土記を調べていくと、その辺りは「神名樋山(かんなびやま)」の一部に該当していました。
「よくこんな高い場所に住んでいたものだな」
そう思っていましたが、考えていくうちに、昔の人にとって山は単なる山ではなく、“生きるための燃料庫”だったのだと気づきました。
■ 森林は、かつての原油だった
近年、原油価格の高騰やエネルギー不足の話を耳にするたびに、
「もし灯油が無くなったら、人はどうやって暮らすのだろう」
と考えることがあります。
その時、ふと思いました。
「木を切り、薪を作り、燃やせばいい」
そうです。
昔の人にとって森林とは、今でいう“原油”だったのです。
山には水があります。
小川が流れ、井戸を掘れば水も出る。
あとは米や野菜があれば、人は生きていけます。
昭和23年の米軍空撮を見ると、山の上まで田畑らしきものが広がっています。
今では想像できませんが、かつての人々は山全体を生活圏として利用していたのでしょう。
■ 山火事は「山を使わなくなった」結果かもしれない
近年、大規模な山火事のニュースを見るたびに感じることがあります。
昔は山に入り、落ち葉を集め、枝を拾い、薪として利用していました。
しかし今は、枝打ちした枝葉も山に残されたままです。
私自身、地元の消防団として山火事の消火に出たことがあります。
一度、山に火が付くと、自然には消えません。
火による上昇気流が発生し、まるで巨大な吹子(ふいご)で風を送り込んだような勢いで燃え広がっていきます。
そして、多くの場合、「峰まで燃え切って初めて止まる」のです。
もし昔のように、人々が山に入り、落ち葉や枝を日常的に燃料として使っていたなら、ここまで大きな山火事にはならなかったのではないか。
風土記を研究していると、そんなことまで繋がって見えてきます。
■ 築地松は、防風林だけではなかったのではないか
出雲平野には、「築地松(ついじまつ)」と呼ばれる松の防風林があります。
冬の季節風から家や暮らしを守るために植えられたものとして知られています。
しかし私は、それだけではなかったのではないかと思っています。
田園地帯では、藁を保存して炊事の燃料にしていました。
さらに日御碕方面へ行くと、防風林の松にⅤ字の傷が刻まれているものがあります。
これは戦時中、「松根油(しょうこんゆ)」を採取するための跡だと言われています。
つまり松は、
- 防風
- 燃料
- 灯り
という役割まで担っていた可能性があります。
■ 樹木が無くなると、文明は続かない
「樹木が無くなると文明は滅びる」
少し大げさに聞こえるかもしれません。
しかし、昔の時代には木を遠くまで運ぶことは簡単ではありませんでした。
レンガを焼く。
瓦を焼く。
鉄を作る。
石垣を築く。
その全てに大量の燃料が必要です。
その土地の木を使い切ってしまえば、人はその場所で暮らし続けることができなくなります。
日本の木は比較的成長が早く、30年ほどで用材になります。
しかしヨーロッパの寒冷地では、60年かかることもあります。
植林しても、次に使えるまで数十年待たなければならない。
つまり、森林を使い尽くした文明は、移動し続けるしかなかったのだと思います。
■ 出雲という「生き延びやすい土地」
出雲は、
- 山が比較的低い
- 水が豊富
- 宍道湖という穏やかな内海がある
- 日本海の魚がある
- 平野がある
- 木材がある
- 綿花が育つ
- 気候が比較的温暖
という、非常に暮らしやすい条件が揃った土地です。
内海の魚介類も、外海の魚介類も得られる。
山があり、燃料があり、水がある。
だからこそ、人々は無理に移動したり、出稼ぎをしたりする必要が少なく、古い文化や暮らしがそのまま残ったのではないかと思います。
文化の進化が遅れたのではなく、「急激に変わる必要が無かった」。
それが出雲という土地なのかもしれません。
■ ぜひ、出雲に来てみてください
便利さだけでは測れない「生きる力」が、この土地には残っています。
風土記を読むと、昔の人々がなぜこの地を選び、暮らし続けたのかが少し見えてきます。
ぜひ一度、出雲の風景や山、湖、暮らしを体感してみてください。
きっと、“本当に豊かな暮らし”とは何かを、感じてもらえると思います。

↑出雲から松江方面を見た空撮です。
左手に見えるのが日本海――「外海」。
右手に広がるのが宍道湖――「内海」です。
出雲の特徴は、この“外海”と“内海”の両方を持っていることだと思います。
日本海の豊かな魚介類。
そして、波の穏やかな宍道湖の恵み。
さらに周囲の山々も、300〜400mほどの低山が中心で、昔の人でも十分に行き来できる高さでした。
険しい高山ではなく、「暮らしの延長にある山」。
水があり、木があり、燃料があり、食べ物がある。
出雲は、自然と共に生きるための条件が非常に整った土地だったのではないかと思います。

上の写真の左手に見える湖が宍道湖です。
そして中央に丸く輪のように見える場所が、「佐香の河内(さかのかわち)」―― 私の住む町です。
手前に連なる山々は、出雲風土記に記された「神名樋山(かんなびやま)」にあたります。
私は長く風土記を調べる中で、一つの考えにたどり着きました。
それは、「神名樋山」の“樋(ひ)”とは、水の流れを意味しているのではないかということです。
つまり、昔の人々にとって重要だったのは、単なる“山”ではなく、水を生み出す“川の源流域”そのものだったのではないか。
「神名樋山」とは、山の名前というより、“命を支える水の山”を表していたのではないか――
それが、私のたどり着いた結論です。